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医療法人耕仁会 太田病院

心療内科・神経内科・精神科・内科・消化器科・放射線科・放射線科・眼科

受付時間は初診で月〜金曜8:30〜11:00(午前のみ)
再来で月・火・木・金曜は午前の部8:30〜11:00・午後の部11:00〜14:00
水・土曜8:30〜11:00(午前のみ)
診察開始時間は午前の部9:00〜、午後の部13:00〜(午後の部がある場合のみ)
日曜・祝日は休診
※一般受療者からの予約は、外来看護師と電話相談の上、受け付ける場合あり



・地下鉄西28丁目駅から
 市営バス(環20)宮の森環状線
  (西21)山の手線に乗車
 「国立西病院前」下車徒歩1分
 地下鉄琴似駅からタクシーで5分程度
・玄関でデイ・ケアの方がスリッパを出すのが何とも妙
・エレベータの中に院長の方針らしい格言みたいな貼り紙が…
・内観療法に力を入れているらしい

《評価》
雰囲気
施 設
立 地

☆☆☆


《外来》
2ヶ月入院した後、通院を続けていますが、とにかく待ち時間が長い!
仕事の合間に薬を貰いに行くだけでも2時間ぐらい待たされます。
処方を変えて欲しいと言っても「担当の先生の診察を受けなくてはいけないから」の一点張りで、満足に話しもできません。
なので、ずっと同じ薬を1年ぐらい飲んでます。自分に合っている処方ではないと思うのですが、こちらも時間がありませんので、まあ仕方ないか、と思ってそのまま同じ薬をずっともらっています。
因みに担当医は院長の息子です。あと、ここの院長は調理師免許を持っているそうです。
(2003年3月通院中)

友人がうつ病で通っていました。激しい自殺願望があったのですが入院はしませんでした。
渡された分厚く怪しげな「内観パンフレット」を見て引き、
診察も5分で終わるし待たされるし内観は怪しいしで、結局「行かない!」と通院中止。
最後は自力で治してました。強い子です(笑)。
しかしその時、処方されたロヒが合わなかったことから、精神薬に関する拒否反応が
未だに残っているようでうす。
(1999年通院)

《入院》
開放病棟に入院しました。担当医はY医師でした。
症状は、接食障害、鬱、PTSD、PDなどですが、境界例の人格障害とカルテには書かれていたのを見ました。
入院中は偽名を使わなければならないのですが、私の偽名と本名が似ていたらしい患者さんがいて、
私はいきなり口に氷を突っ込まれました。
その時は、その子の状態が悪かったらしく、その後保護室に入れられてました。
とにかく現実と非現実との境い目がわからなくなっている子のようで…
その前には、私のために作文を作ってくれたり、部屋の前で子守歌を歌っていたりもしてました。
かなりのクレイジーホスピタルだと驚くばかり。
院長はとにかく最悪です!かなりのヘビースモーカーなのに喫煙所から帰ってきた途端、
「たばこの害を知ってますか?たばこを吸う人間は大バカです!レポートを書くように!」。
しかも私の母親に他の人のリボン内観を自慢げに見せたそうです。
私も危うくリボン内観になりそうだったので、無理矢理6日間で退院しました。その時、Y医師はかなりキレてました。
退院後、32条が適用されているので仕方なく、薬をもらいに通院したのですが、希死
願望が強く眠れない状態を伝えたところ、
「この薬は大量に飲んだら死ぬからね?」と言われ、強い眠剤や安定剤など合わせて11種類を出されました。
…見事にODしてしました。
外来に通うようになって約3ヵ月後の診察で、母親が私の病状をひたすらしゃべっていたことがありました。
私は鬱がひどかったので紙に「生きている価値がない死にたい」と書き、下を向いてうなだれていたらY医師に殴られました。
Y医師は母親に「殴ってすいませんね」とすぐに弁解していましたが、これをきっかけに転院しました。
おかげさまで思いっきり病状は悪化。円形脱毛症になりました。
ベスト着てる先生(Y医師がいつも着てた)恐怖症&男性医師恐怖症にもなりました。
とにかく最悪すぎます!唯一良かったのは、ごはんがおいしい事だけ。
アルコール中毒の方にはおすすめかもしれません。
(2003年7月)

内観療法をやらされましたが、私は閉所恐怖症の上に、過去の記憶がところどころ抜けているので
どうしても出来ませんでした。
ふと気がつくと私とは全く違う筆跡でレポートが完成していました。
内観中、気が狂いそうになって私を閉じ込めている分厚い板に頭や拳を思い切りたたきつけていました。
その後、シャープの先で腕や足に傷をつけているのを発見されたのが決めてとなり、リボン内観に突入しました。
母は院長に言いくるめられ、書類にさっさと印鑑を押してしまいました。
院長に呼ばれて入ってきたリボン体験者は院長の前だし早く退院したいのでしょう、
リボン内観がどれだけ素晴らしいかということを私と母に語りました。
(そのうちの1人は入院中、刃物を盗んで自傷したり、他の患者に毒を盛ったり、ネットでドラッグを買っていました)
院長は得意げでした。
私は早く開放されたかったのでおとなしく縛られ、脱走も試みませんでした。
通常7日、まじめにやっていれば最短3日程度と聞きましたが、私は8日でした。
内観が深まっていないからと言われました。
覚えてないんだから仕方ないじゃないか。
そして、担当医が院長、副担当医がO女医だったが為に喫煙の許可がなかな下りませんでした。
病棟から出ることさえ禁じられました。私の病名は鬱病なのに。
私より後に入院してくる人は次々と喫煙所や売店に行きます。
「ビタミン剤が飲みたい」と言うと、担当医に「そういう薬物依存症も治さないと」と言われました。
院長は「アンタはそのサプリメントの会社に騙されている。いい金蔓だ」。
退院したらどうしたいかとの院長の問いに「入院前にお世話になっていたフラワーセラピストになりたいです」と答えれば
また、「だまされてる。世の中を知らない。そんな職業はない」。
医者も医者なら患者も患者でした。痴漢行為、泥棒、手を握って離さない女の人…。
この病院を最後に私は精神科に行くのをやめました。
(2003年5月)

去年の4月と9月に欝で入院しました。太田病院は家の窓から見えるほどに近いんです。
4月には内観を受けました。
これって私にあっていたらしく、最初は辛くて逃げ出したくて仕方ありませんでしたが、
終わったときの達成感はすばらしく、すがすがしいものでした。
死のうという気持ちはなくなり、それは今も続いています。
終わると同時に家族やペットに無性に会いたくなり、10日で退院しました。
この時は開放だったので、こっそりたばこ吸いに行ったり、屏風の中でメール打ったりして、時間を過ごしました。
退院してしばらくはえっ!私って鬱だったっけ?というくらい調子が良くて幸福感に
満たされていて薬も飲まず半年位過ごしました。
その後、引越しをきっかけにちょっと具合が悪くなり9月に行ったときには閉鎖しか空いていなく
て仕方なく古い病棟に入りましたが、窮屈で酷いところです。
携帯はあらかじめダミーを預け、部屋で家族のポケットからゲットしました。
担当は院長の上の息子でした。この人は気が弱いようですが、権限はあります。
下の息子は院長のいいなりといった感じでした。
ここではリボン内観といって、言うことをきかない患者は手足を縛られて内観させられるそうです。
(手足のありがたみをわからせるためらしい?)
ここまでならまだしも、トイレにも行けません。
つまりオムツ…そして、そのオムツを替えるのはリボン内観を受けた患者です。
経験者に聞くと、最後にはあきらめるしかなく、死ぬこともできない辱めと屈辱の毎日だったとか…
院長はそれを見て興奮して「もっと苦しめ」といったそうな…
私は4日で退院してきましたが、リボン内観が決まった患者が自殺しようとしたのを止めて
二度とここには来るまいと強く思いました。
(2002年4月・9月)

内観療法をやってみたいと思い「内観道場」というものに行ったことがありました。
カーテンで仕切られた狭い空間で、ひたすら過去のことを考える。これを1週間続けるのです。
私は耐え切れず、途中で逃げ出しました。
そんな経験から、内観療法で有名なこの病院だけは嫌だったのに入院が決まってしまいました。
担当は院長で「あなたは鬱じゃありません。薬中毒です。原因は家庭環境にあるのでお母さんも
内観日記を毎日書いてください」と言われました。
しかも私は「薬中毒」という病名のため、閉鎖病棟に入ることに。
さすが閉鎖、持ち物検査から恐ろしかった!とにかく徹底的に調べられるのです。
携帯なんか絶対だめです。鏡のついたファンデーションも取り上げられました。
事故があったとかで、コンタクトレンズまで禁止です。
そして内観日記とその他の資料、鉛筆と消しゴムが支給されました。
院内では本名、素性を明らかにしてはならず、完全儀名使用です。
部屋はきれいでした。私より少し年上の女性が同室でしたが、妄想の世界。
「○○山から電波が飛んできてそれで胸が苦しくなる」
「私の家系は天皇家と血が繋がっている」などなど。
看護婦さんにいつも「現実と非現実の世界を区別しなさい!」と怒鳴られてました。
また、内観はアル中治療のために始められたものなので、患者さんもアル中が一番多いようでした。
私より年下のヤク中の女性もいましたが、なんといっても老人、特に男性が多かったです。
私はというと持っていたクスリをすべて取り上げられ、当然、夜はよく眠れません。
それでもまだ私はこの病院で治るなら・・・と希望を持っていました。
ひどく暑いのに、閉鎖の窓は少ししか開かず風が全然入ってきません。
眠れないため具合が悪くなり、それを薬で抑えることもできず、さらに激しい頭痛に見舞われました。
看護婦さんは「薬は出せません。冷やしていれば治るかもしれないから」とアイスノンを貸してくれるのみ。
院長の診察があったので頭痛のことを言うと「腹式呼吸をすれば治る」との答え。
結局1日中頭痛はおさまりませんでした。
次の朝も看護婦さんに「具合が悪い」と訴えましたが
「それはあなたが今まで薬に頼ってきたから。我慢しましょう」と言われるだけ。
ここは病院なのに何の医療行為もしてくれない。
薬なしで気力だけで治るなら病院も医者もいらないのでは?と疑問が湧いてきて止まらなくなりました。
とにかく私は一気に病院不信に陥り、たった3日で退院を願い出ることに決めました。
結局、父が院長と電話で話をして「娘は病気じゃない」という決まり文句(父は私が鬱だと認めてない)
が決め手となり「病気じゃないならお引取りください」ということに。
でも「子が子なら親も親だ。だから子どもがあんな風になるんだ」と皮肉、罵声たっぷり言われたそうです。
短い入院でしたが、あまりにインパクトありすぎでした。
(2001年夏)

父が20年来のアル中で、入院しました。
最初は内観療法をものすごく拒んでいましたが、大変効果がありました。
あれはもともと仏教の修行がルーツなので、父のように信仰心を持っている人には効果があるのかな?と思いました。
しかし後で聞くと、保護室に入れられ縛られて、内観療法を受けさせられる患者さんもいるそうです。
父が入院していたのは2階のA2という閉鎖病棟で、中毒系の患者さんがいっぱいいる「急性期病棟」でした。
びっくりしたのは、壁の張り紙で「患者同士で住所を教えあってはいけない」っていうのですかね。
看護婦・看護士のほかに同じくらいの数のケアワーカーがいて、患者さんの下の世話などをしています。
スタッフは全員トランシーバーを持って、容態の変わった患者さんについて連絡を取り合うのですが、
絶対患者の本名を言いません。「山田太郎」という患者だとしたら「Y太郎さん」とか言うんですよ。
体育館はありませんが、カラオケの時間とか作業療法は行ってるようでした。
買物は週に2回くらい売店の人が来て、伝票で買っていたみたいです。
病棟の中にはジュースの自販機しかありませんでした。
タバコは時間が決まってるみたいで、ライターの所持は禁止されているので、喫煙室(超狭い。2畳ぐらい)
にある蚊取り線香で火をつけていました。
あと、面会に行くとエレベーターを出たところに受付があって、荷物をチェックされます。
下着や洋服を持っていくと名前を書かされるんですが、患者本人がマジックを持つのは禁止でした
(シンナー入ってるから)。
お土産のお菓子も、洋酒の入ったパウンドケーキなどはチェックされます。
患者が外泊から戻ってきた時にも荷物とボディチェックされます。ベルトなどはとられましたね。
面会については時間制限等はありませんでした。
あと、太田は病院のHPもありますが、閉鎖病棟の中にもPCが1台あって、ネットができます。
私が見たときPCは壊れていましたが、自分の病気について情報を得ましょう、ってことらしいです。
父は退院してからは一滴もアルコールを口にしていません。
太田の患者でそういう風に断酒に成功した患者は4年ぶりだそうです。
父はその後仕事に就き、今は「酒を飲むのが怖い」と言っています。
(2000年夏から秋)

A-2という精神科急性期治療病棟に入院しました。
そこはアルコール依存、薬物依存、分裂病、神経症、ボケ老人etc...の男女閉鎖病棟で
10段階心理療法っていう治療方法に従わなければ、退院できません。
病院の中では、ほとんどの人が、偽名で呼ばれます。退院後のトラブル予防らしいです。
みんな何故ここにいるのか毎日毎日言わされます。何かあればすぐに保護室に入れられます。
だから保護室にはいつも人が入っていました。
集中内観は自分で自分自身をカウンセリングできる療法となっていますが
実際7日間隔離されて拒否すると退院できません。
入院時に院長が書いたパンフを15、6冊渡され、それには
「イ:お世話になったこと、ロ:して返したこと、ハ:心配、迷惑をかけたこと、を調べてもらいます」
など書いてあるけど、集中内観はとても耐えられません。
それに加え、内観日記というものがあって、行動目標を毎日100回ノートに書かされます。かなり面倒です。
あと、朝の運動っていうのがあって、院長が気に入らない患者は、毎朝走らされます。
院長も安定剤飲んでます。これ本当です。そして、金、金、金です。
それからY医師もかなり終わってます。
患者のことなんてどうでもいいような対応しかしません。最低です。
飲んでた薬は、就寝前のエリミンしか覚えてません。
看護婦、看護士は、全員トランシーバー持っていて、絶対に脱走できません。
院長に怨みを持ってる人はかなりいます。何年か前に院長の家が放火されたっていう噂もありました。
(2000年夏から秋)



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